「少子高齢化」から、今は「少子多死化」が進んでいるとニュースになっていました(^_^;)
すべての人の行く先が「老」「病」「死」。
今回は、米沢(山形県)の藩主だった、上杉鷹山のお年寄りに対する政策について。
家は貧乏なのに働くこともできず、
食糧を食いつぶすだけの厄介者が老人なのか。
生きていて、何の意味があるのか。
こういう発想から、江戸時代には「姥捨山」の風習が生まれた地域さえありました。
(姥捨山:国の掟や貧困のため、年老いた親を子が捨てた山のこと。日本各地に伝説が残っています。)
しかし、上杉鷹山は反対でした。
どんなに経済的に厳しくとも、老人を大切にする政策を打ち出してたのです。
安永6年(1777年)、鷹山は、藩士の家族の中で、
90歳以上の老人を城を招いて懇親会を設けました。
老人は、今こそ腰が曲がり、歩くこともままならず、
家族に迷惑をかけているかもしれない。
だが、この親がなければ、子供が育たなかったのです。
孫も生まれていません。
いかなる貧苦にも耐えて、働いてきてくれたからこそ、
現在の家庭もあり、国家も築かれてきたのです。
その恩を思うと、ねぎらわずにおれない。
鷹山は、優しく言葉をかけ、服や金子(きんす)を贈りました。
また広間で行われた会食の席には、子や孫を2、3人ずつ付き添わせました。
付き添いの家族に、鷹山は、
「今日は無礼講だ。
おまえたちの両親や祖父母をいたわり、
心を込めて食事の世話をして、
楽しく過ごしなさい」
と言ったので、仲むつまじい笑い声が絶えませんでした。
この宴(えん)に参加した人や、後で伝え聞いた人々は、
皆、今までの行いを反省し、
「もっと年寄りを大事にし、親の恩に報いるように心掛けていこう」
と強く知らされたといいます。
鷹山は、町民、農民に対しても、同じように接しました。
90歳以上の老人を代官所へ招いて「養老米」を贈り会食もしています。
以後、毎年元日に、90歳以上の老人には、
服や米が、祝いとして贈られることになったのです。
「親捨てた 報いで子にも 捨てられる」
親を邪魔者にしてきたから、子供から自分も邪魔者にされるのです。
仏教では、
ご恩をありがたく感謝する者は成功し、
恩を当然と受け流す者は信用を失い、
恩を仇で返す者は身を滅ぼす、と教えられています。
心してゆきたいと思います(^_^)