【「難の難 乗り越えてこそ 光あり」】
雪道を車で走行していたら、トレーニングウエアーを着て走っている人があり、びっくり!
きっと何かのスポーツ大会に出ようと頑張っているのだろうなぁ。。
と思うと、私ももっと努力しなければ(走るわけではないですが)と反省し、奮起させられました(^_^)
成功者は、みな努力家ばかり。
大化学者、パスツールの幼少期はどうであったのか。
名門校の受験を目指し15歳でパリへ出たものの、ホームシックにかかり、憔悴し切って帰郷。。
進学を断念するかと危ぶまれましたが、近くの学校で勉強し直しているうちに、
もう一度、パリへ行き、化学者になりたい、の気持ちが強くなってきました。
父も進学を許してくれましたが、すぐに学費の工面ができませんでした。
そこで、じっくりと時間をかけて苦手な科目を克服し、4年目に受験しましたが、満足な成績が取れず不合格。
それでも諦めず、5年目に再び挑戦し、見事、トップクラスの成績で合格(^_^)。
20歳になっていました。
念願かなったパスツールは、勉学と研究に熱中。
余りの勤勉に、体を酷使するのではと心配した父親は、手紙で息子を諭しています。
「いつも夜遅くまで勉強しているようだが、父さんは、とても心配している。
病気になったらどうするんだ。そんなにあせる必要はない。
おまえへの仕送りぐらい、まだまだ続けられるから安心しておくれ」
その父への返事は。。
「クラスの中には、先生の話を半分くらいしか聴かなくても
理解してしまう優秀な人もいます。
でも、僕は、人の2倍、3倍の時間をかけて、
頭の中で整理しないと、完全には納得できないのです。
だから、人が寝ている間に勉強しないと追いつけません。
若いから、多少、睡眠時間を削っても平気です。
体調管理には気をつけますから、安心してください」
自分に力がないといって、嘆いたり、落ち込んだりするのではなく、
人の2倍、3倍の時間をかけて努力すれば、必ず追いつき、追い越せる。
これが、後に、恐ろしい伝染病から人類を救う研究者になったパスツールの一貫した信念でした。
2600年前、ブッダは、「精進」という「善」を進められています。
懈怠であってはなりませんよ、正しい方角に向って、努力しなさい。
「精進」とは「努力」のこと。
「まいたタネは必ず生える。
まかぬタネは絶対に生えぬ。」
光に向って、ひたむきに努力し続ける人の未来は必ず明るいものになります。
「難の難 乗り越えてこそ 光あり」
ガンバ(^_^)!!
スタップ細胞についての残念なニュースが流れています(^_^;)
門外漢が言うのは何ですが、、
色々な批判を浴びる中、それでも、最後まで信念を貫いて諦めず頑張り抜くことが出来る人こそが、
本当の科学者なのだろうなぁ。。と思いました。
この研究は、これまでなのか、、これからなのか。
年末は数回に分け、フランスの大化学者、パスツールのことを通して話したいと思います(^_^)
彼は、恐ろしい伝染病から人類を救う研究に生涯をささげ、どれほど社会に貢献したか分かりません。
そこには、親の熱い子供への愛情が隠されていました。
パスツールの父は、東フランスの、小さな町の職人でした。
夫婦2人で働く、ささやかな店なので家計は厳しい。
それでも、自分たちが満足に学校へ行けなかった分、
息子にだけは、ちゃんとした教育を受けさせてやりたいと願っていました。
父親は、「この家の仕事を継ぐ必要はない。自分の好きな道へ進みなさい」と、よく息子を励ましていたそうです。
パスツールは、成績のよいほうではなく、目立たない子供でした。何をするのも遅くて、周囲をあきれさせるほど。
しかし、校長先生は、そんな彼を見て、
「天才ではないが、物事を深く考える性格は学者に向いている」
と見抜き、パリの有名校へ進学させてはどうか、と両親に勧めました。
息子を褒めてもらったのはうれしいが、お金がかかりすぎる。
父と母は悩んだ末に、やはり子供の将来には代えられない、と進学させることを決意。
受験に備え、パスツールが、パリの予備校へ入ったのは15歳の時でした。
ところが、ホームシックにかかってしまい、
次第に、授業が頭に入らなくなり、食事も喉を通らない。夜も眠れない。
両親や家のことばかり思い出して涙ぐむようになりました。
心配をかけまいとして、家へ出す手紙には「元気にやっています」
と書いていたが、親は子供の変化には敏感です。
父親は、「このままでは、本当に病気になるかもしれない。そうなっては手遅れだ」と感じ始めていました。
ある日の朝、寮の友人から「誰かが会いに来ているよ」と言われ、出てみると、
予想もしない、そこには父の姿が。
「お父さん……、どうして?」
「おまえを迎えに来たのさ」
父は、こう言っただけでした。
パリへ出すのに、どれだけ苦労してお金の工面をしたか分かりません。
それが、わずか1ヵ月足らずで郷里へ帰るはめになったのに。。
「あせってはいけない。この子に、期待をかけすぎたのかもしれない」父親は、自分に言い聞かせていました。
ここで親が、叱ったり、愚痴を言ったり、責めたりしていたら、
後年の輝かしいパスツールは存在しなかったかもしれません。
仏教では、「自業自得」と言われ、
幸福(善い運命)も、不幸(悪い運命)も、すべては、私のやった行いが私の運命を生み出す、
それには万に一つも例外はないのだと教えられます。
勉強ならば、子供が頑張らなければ、子供の成績が上がらないのは当然です。
では、親が子供にどう拘われるのか。
少しでも「よい縁」になることでしょう。
子供の将来に、親が及ぼす影響(縁)は、計り知れません。
世間では、子供は親を選べないと言われますが、
仏教では、子供は親を選んで生まれてきた、、と言われます。
(このことは「勉強会」で詳しく話しています)
自分を親と選んで生まれてきてくれたのだと思うと、
お粗末な私も、子供にとって、少しでも「よい縁」になってやりたい、、と強く思わずにはおれません。
パスツールの両親ほどの温かい言動がとれなくても、、
少しでも見習って、自分に出来ることを模索し実行してゆきます!(^_^)
【「唯我独尊」】
大変ご無沙汰してしまい、すみません(>_<。)
色々なことが、人生に起きるもので。。
悲喜交々、、すべてを向上のご縁として、
生きる目的に向って感謝し前向きに進みたいと思います(^_^)
仲の良い友人が、年始に決意したメルマガ投稿目標数に大きく下回っているから
と挽回すべく一生懸命文章を作って頑張っています。
諦めず頑張る姿がまぶしい(>_<)
来年まで、あと2週間を切ってしまいましたが、、私も見習って、精一杯頑張ります!
「トロイの遺跡発掘」の夢を果たしたシュリーマンについての最終回(これで3回目)。
努力が報われない22歳のシュリーマンに、ついに転機が訪れました。
必死で学んだ語学力を買ってくれる会社が見つかったのです。
転職したシュレーダー商会では、彼の熱心な仕事ぶりを評価し、給料もアップしてくれました。
しかし、シュリーマンは現状に甘んじることはありませんでした。
ロシアとの取引が多いのに、なぜか社内にロシア語の話せる者がいないことに気づいたのです。
「ロシア語をマスターすれば、この会社に、なくてはならぬ存在になれる」と確信し、勉強を始めました。
しかし、当時のアムステルダムには、ロシア語を話せる人がほとんどいませんでした。
学びたくても、先生がいない。
書店にも、ロシア語の教科書はない。
誰もがあきらめて学ぼうとしなかったロシア語。
とこが、シュリーマンは、粘り強く古本屋を回り、
ようやく、文法書と辞書、ロシア語訳の小説を手に入れ、独習を開始。
小説を丸暗記し、毎晩、大声で朗読するため、
アパートの住人から苦情が出て、二度も住まいを変えました。
そして、、6週間後には、ロシアの商人と流暢(りゅうちょう)に語り合うまでに成長。
これにはシュレーダー商会の幹部は、びっくり。
彼は、すぐにアムステルダムにやってきたロシア商人の応対を任されるようになりました。
2年後には、わずか24歳のシュリーマンが、
会社の代理人としてロシアへ派遣され、まもなく、一商人としての独立も認めらたのです。
その後のシュリーマンは、語学を生かし、様々な取引で、成功を収めて行きました。
財産も、倍、倍、倍と増えていき、一年後には、ロシアの大商人として、
その名を知られるようになりました。
商人として、幾晩も眠れない試練もありましたが、
しかし、語学習得に発揮したのと同じ勤勉さで、苦難を乗り越え、
40歳を過ぎるころには、世界的な大富豪になっていました(>_<)
ここで、彼が商売を続けていれば、ただの大金持ちで終わり、
歴史に名を残すこともなかったでしょう。。
彼の人生が、最も人々を感動させるのは、これからです。
「いよいよ、子どものときからいだき続けてきた理想を
大々的に追求する時機がきた」
と宣言し、潔く、商売を止め、世界旅行と、
フランスで考古学を学んだ後、いよいよ念願のトロイの発掘の準備に取りかかりました。
トロイは、エーゲ海沿岸の、どこかにある。
シュリーマンは、ギリシャの古典を研究し、
ヒッサリクの丘に狙いを定め、私財を投じて、発掘を開始。
この時、49歳。
幼い日に夢を抱いてから、42年後のことです。
東西約200メートル、南北約150メートルの丘を、
一日に100人以上の労働者を雇って掘っていきました。
その人件費だけでも、莫大な金額です(>_<)
灼熱の太陽と闘いながら、シュリーマンの心は燃えていました。
2年かけた発掘作業で、
3000年以上も前の、巨大な城壁、城門などが次々に姿を現してきました。
ついに、一人の男の、夢の力が、
エーゲ海に未知の文明が存在したことを証明したのです。
シュリーマンの波乱の人生と発掘への情熱は、
「夢を掘り当てた人」として、
多くの物語や戯曲、オペラなどの題材となりました。
彼の死から100年以上たった現在でも、根強い人気を誇っています。
彼は、一生を振り返り、こう言ったと言われます。
「たしかに私の心は金に執着してきただろう。
しかしそれは、
私の生涯を賭けた大目的を成就するための
手段と考えていたからにすぎない」
最も大切なのは、
まず、「生きてよかった」と大満足できる本当の人生の目的を見つけること。
『唯我独尊』(ブッダ)
「ただ(唯)、我々人間(我)にしか果たすことのできない
たった一つの素晴らしい人生の目的(独尊)がある」
とブッダは宣言されています(^_^)
最も大切なことを、これからも共に学んでゆきましょう(^_^)