メルマガ ~ゼロからわかる仏教講座 山形~

【確実な未来への備えを怠っている私たちへの戒め】

GW真っ只中(^_^)

今年は、どこにも行かずにひたすら仙台で勉強会です。。

ブッダが説かれた、未来の一大事。

すべての人が直面しなければならない確実な未来とは。

今回は、誰もが知っている、イソップ童話から。。

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真夏の太陽が、ギラギラと輝いている。

こんな蒸し暑い日も、アリたちは、

せっせと田畑を歩き回って、食料を集めていた。

やがて訪れる、寒い寒い冬に備えて……。

一方、陽気で楽天家のキリギリスは、

涼しい日陰で、得意のバイオリンを弾いて、歌って、遊んでばかり。

黙々と働いているアリを見るとバカらしくなってきた。

「どうして、そんなに一生懸命に働くんだい?
 
 もっと楽しく毎日を過ごせばいいじゃないか」


アリは忠告する。

「あなたは、雪に覆われた寒い冬がきても、その調子で浮かれているつもりなの。

 必ずやってくる冬の準備をしておかないと、大変なことになるよ」

「冬? そんなの、ずっと先のことじゃないか。

 それに食べ物だって、こんなにたくさんあるんだ。

 今のうちに、遊んでおかないで、どうするんだい」

キリギリスは、笑ってばかりいた。


季節は、確実に巡る。

青々と茂っていた葉も、少しずつ茶色くなり、枯れていく。

やがて雪が降りだした。

ついに冬が到来し、一面の銀世界。


キリギリスは、空腹と寒さに泣きながら、雪の野原をさまよっていた。

「そうだ、アリさんの家に行って、食べ物をわけてもらおう」

アリたちは、夏の間から準備してあった暖かい家で、楽しく過ごしていた。


玄関を訪れたキリギリスに、アリは言った。

「君は、夏の間、一生懸命に働いている私を、

 バカにしていたじゃないか。

 少しでも忠告を受け入れて、あの時に働いていれば、

 今、苦しむことはなかったはずだよ」

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イソップ童話の中で、最も有名な話ですね(^_^)

「ああ、あの話か」と、あなどる前に、

これまで、キリギリスと同じような後悔をしてこなかったか、

振り返ってみましょう。

テストの日が、前もって発表されているのに、ついつい遊んでしまい、

直前になってあわててしまったり……。

期限が決まっている仕事への取り組みが遅れて、前日に徹夜をしたり……。

ギリギリでも間に合えばいいが、

取り返しがつかない事態に発展したら、どうするのか。


キリギリスも、やがて冬が来ることは知っていたはず。


「分かっている」と言いながら、

確実な未来への備えを怠っている私たちへの戒めでしょう。


では、ブッダが一番問題にされた未来とは。

100%確実な未来であり、明日かもしれない未来。

いや今晩かもしれない。

それは、「生ある者は必ず死に帰す」と言われるように、

万人が逃れることができない死の大問題。

これを生死の一大事と言い、その解決こそ仏教の目的なのです。

何がそんなに一大事なのか。

今死なねばならないとなっても、我が人生悔いなし、

と心から思える生き方がしたい方は、是非、

勉強会にお越し下さいませ(*^_^*)
 

【他人の評価に一喜一憂していては何事もできない】

【他人の評価に一喜一憂していては何事もできない】

新年度がスタートし、
新たな気持ちで毎日色々チャレンジ中(*^_^*)

ゼロからわかる仏教教室も、
形式を工夫したり、時間帯や場所を変えてみたりと
思考錯誤しています。

日々、成長向上を目指してます!

今日は、ある教訓を紹介します(^^)

勘太郎と勘助は、いずれ劣らぬ親バカ小バカであった。

農業を営んでいたが、何をやっても失敗ばかりで
家財道具まで食いつめた。
残ったのは一頭の小馬だけ。

親子相談の末、その小馬も町へ売りに行くことになった。

しばらく行くと、
すれ違った男がささやいた。

「大きな男が二人で馬を引っ張っていくより、
だれか一人乗ってゆけばよいのに」

それもそうだと思った父親の勘太郎は、

「おい勘助、おまえ乗れ。オレが引いてやろう」
と息子を馬に乗せる。

また行くと旅人がしゃべりながら通った。
「あの息子は年老いた親父に馬を引かせて、
己が気楽に乗っている。何と親不孝な奴だろう」

勘太郎は、なるほどと思って、
「おい勘助、オレが乗る。おまえ引っぱれ」と自分が乗った。

またすれ違った人がつぶやいていく。
「あの親父、若いもんに引かして
我が身が平気で乗っている。無慈悲な親じゃのう」

勘太郎、またまたなるほどそうだと感心して、

「勘助、おまえも一緒に乗らんか」と二人が一緒に小馬に乗った。

また旅人がささやいた。
「まあ、ひどい親子もあるものだ。
あんな小さな馬に大の男が二人も乗って、なんと無茶な奴らだろう」

また親子ともにうなずいて、
小馬の足をくくって二人でかついで町まで行った。

あこそこと売り歩いたが、だれも買う者はいなかった。

そのうちに、長い橋を渡っているところへやってきた自動車に驚いて、
馬が川の中に落ちて死んでしまったという。

他人の意見に、静かに耳を傾ける度量は必要ですが、
他人の批評に一喜一憂していては、
何事も成し遂げることはできません(>_<)

ここ一つという場面では、信念を貫き通したいですね。

ガンバ(*^_^*)!

 

【変わらない決心】

地下鉄サリン事件から20年。

もうそんなになるのか、、

時の経つのは早いなぁ、と思わずつぶやく。


当時大学2年生だった私は、仏教の素晴らしさを知り、

生涯、本当の幸せを伝える仏教講師なりたい

と心が定まった頃の出来事でした。


無差別殺人を犯す、反社会的なカルト宗教が、

仏教を名乗っている。


宗教や仏教に対するイメージが

悪くなってゆくのを肌で感じる中での決断でした。


それでも、本当の仏教を

一人でも多くの人に知ってほしいと、

胸を張って、

周囲の友達とはまったく異なる方角へ進みました。


平成9年、大学を卒業してまもなく、

仏教講師の道へと飛び込む(^_^)


毀誉褒貶(ほめられたり、けなされたりの世評)は、

今も常にありますが、

一度も辞めようと思ったことはありません。


死ぬまで続けるつもりです。


私がもっとも尊敬する歴史上の人物は、親鸞聖人。

今から約800年前、公然と、当時の常識を打ち破り、

「肉食妻帯」をなされ、どんな人も差別なく、

ありのままの姿で絶対の幸福になれるのだ

と伝え続けてゆかれた一生涯。


そのたくましさ、信念には圧倒されるばかり。


作家の夏目漱石は、

「親鸞聖人に初めから非常な思想が有り、

 非常な力が有り、非常な強い根底の有る思想

 を持たなければ、あれ程の大改革(肉食妻帯)は出来ない」

と言っています。


宗教、仏教に対する偏見、誤った常識を打ち破り、

日本を担う世代にこそ仏教を伝えたい!


仏教の知識ゼロの方にも分かって頂きたいと

ブレずに話し続けてきましたが、

気が付けば、かつての大学生は、

40歳のオヤジに(^_^;)


まだまだこれからです!


振り返ると色々なことがありました。

未曾有の大震災も経験。


日々、

「諸行無常(すべてのものは常がなく続かない)」

の仏説まことが知らされる毎日。


こんな不安定な世の中で、

絶対に変わらない、崩れない、裏切られることのない

本当の幸せがあることを

一人でも多くの方に、分かり易く伝えたい。

すべての人に、幸せになってほしい。


一層の奮起を誓います(^_^)

ガンバ!

 

【あれを見よ みやまの桜 咲きにけり 真心つくせ 人しらずとも】

東日本大震災から4年が経ちました。

当時、私は、東京のビルの3階におり、未だかつて体験したことのない揺れにびっくりしたことを覚えています。

しかし、もっと驚いたのは、その後の映像で知った津波による大惨事。

少しでも復興の力になりたい、の念願が叶い、東北で活動するようになり2年3ヶ月が経ちました。

被災された方々から直接、当時のことを聞かせてもらう度、言葉を失います。

しかし、ひるんではおれない。

日々、ほふく前進している感じですが、一人でも多くの方に本当の幸せになって頂けるよう、
これからも精一杯、私は私の立場で、頑張りたいと思います!

今日は、イソップ童話から紹介します(^_^)

ある男が、木彫りの神像を作って市場で売っていました。

見るからにありがたそうな格好ですが、さっぱり売れません。

なんとか客を集めようとして、大声で叫びました。

「商売繁盛の、福のはいらんかね」

すると、通りかかった男が、冷やかします。

「おい、そんなにありがたいものなら、どうして売るのだ。

 自分がそのご利益にあずかればよいじゃないか。

 だいたい、おまえの店は、さっぱり繁盛していないぞ」

ちょっと考えれば、おかしいと分かるようなことが、世の中に横行しています。

それは、2000年以上も前のイソップの時代も、現代も変わらないのではないでしょうか。

「困ったときの神だのみ」。

順境の時には冷静に判断できることでも、病気や災難などの不幸が続くと、

人間は心が弱くなり、インスタント的「ご利益」を強調するものに迷いがちです。

私たちの運命は何によって決まるのか。

最も知りたい運命の仕組みについて仏教では、「善因善果 悪因悪果 自因自果」と明かされています。

幸福という善い運命(善果)は、善い行い(善因)が生み出したものであり(善因善果)、

不幸や災難(悪果)という悪い運命は、悪い行い(悪因)が引き起こしたもの(悪因悪果)、

善いのも悪いのも自分の運命(自果)の全ては自分のやった行い(自因)が生み出したものなのだよ(自因自果)、

とブッダは教えられました。

私の行いの善し悪しが、私の運命を生み出す。

「あれを見よ みやまの桜 咲きにけり 真心つくせ 人しらずとも」

これは、私が大好きな仏教の歌の一つ(^_^)。

誰も見ていなくても、みやま(奥深い山)に咲く桜は、きれいな花を咲かせています。

誰も見ていなくても、心を正して善い行いに努めれば、必ず善い結果が返ってくると歌われているのです。

まだまだ多くの方が心の傷みを抱え、復興が進んでいるとは言い難い面もありますが、

逆境の時こそ、落ち着いて物事を判断し、正しい方角に向って堅実に着実に努力をしてゆきたいと思います。
 

責任転嫁は、非常に重い罪なのだ

気がつけば、3月に突入し、、すでに一週間が過ぎようとしています(^_^;)

やりたいことは沢山ありますが、何をして、何をしないか。

優先順位をつけることに悩みますが、、チャレンジしたいことが沢山あるのは幸せなこと、
と感謝もしています(*^_^*)

やりたくないことを鼻をつまみながらしていても、やる気もでないし失敗もする。
しかも、、ミスをしたら人のせいにするかもしれません。

今回は、仙台が誇る部将、伊達政宗について。

彼が、「責任転嫁」を罰した書状が残っています。

事件の詳細は、よく分かりませんが、佐平次(さへいじ)という家臣が、
時間を聞き間違えて、主君・政宗に迷惑をかけたらしい。

ところが佐平次は、自分の非を素直に認めず、言い訳をしました。

悪いのは同僚だと言い張ったのです。

明らかな責任転嫁。政宗は、許しませんでした。

佐平次に命じたのは切腹。

驚いたのは、彼の親です。

「なぜ、そんな些細なことで切腹なのか」

親類一同が、あわてて助命を嘆願しに来たので、
政宗は、次のような書状を書き、奉行に厳正な処罰を命じています。

「佐平次が責任転嫁した現場に、私も居合わせたので、
 経緯は十分に把握している。
 聞き間違いは、誰にでもあることだ。
 そんな理由で成敗を加えるのではない。
 自分が悪いと正直に詫びずに、同僚に罪をなすりつける態度が、
 あまりにも卑劣なので、厳罰を命じたのだ」

追伸として、もう一度、繰り返しています。

「時間を聞き間違えたから罰するのではない。
 確かに、今回の失敗そのものは小さいことかもしれない。
 だが、自分が犯した過ちを、他人のせいにするのは、
 非常に重い罪なのだ」

自分の失敗を、他人のせいにしたら、信用をなくすだけ。

しかも、それは本人だけの損失では終わりません。

当然、責任転嫁された人の心は傷つくでしょうし、恨みも抱くでしょう。

和が乱れ、団結が損なわれるのは間違いありません。

また、些細なことさえ責任転嫁する者は、
重大なミスを犯した時には、なおさら隠蔽工作をするはず。

組織が瓦解する元凶となるでしょう。

周り中が敵である戦国時代においては、
まさに一国、一城の存亡の危機に直結する大問題であったのです。

さすがに、切腹は厳しすぎるようにも思いますが、、
自分の行動に責任をもち、決して人のせいにせず、
失敗も成功の元として、常に前向きにチャレンジしてゆきたいと思います。
 

【諦めずたゆまず努力】


痛ましい阪神大震災からちょうど20年。

当時大学生だった私も、40歳。。時の経つのは早いものです(>_<)

テレビでは、震災時からは想像できない程の町の復興ぶりが紹介されていました。

では、この20年、自分はどんな努力をし、何を身につけたか。
そして、これからはどうしてゆくべきか。。(^_^)

前回に続き「小鳥の医者」高橋達志郎について紹介します。

昭和22年、22歳の時、夢と理想に燃える獣医であった彼は、大病を患い、
4年間の闘病の末に退院するも、生涯、足が不自由な身となってしまいました。

外出できない寂しさを紛らわそうと、飼い始めたのが小鳥。

獣医ではありましたが、鳥に関する知識を全くもっていませんでした。

しかし、ゼロからすべてを学び始め、カナリアのヒナを孵化させることに成功。

これを機に、ブンチョウ、セキセイインコ、ジュウシマツなど、数多くの小鳥を飼育し、
そのヒナを販売して、生活の糧を得るようになってゆきました。

そんな彼の頑張りを、朝日新聞が記事に掲載するや。。

不運をはねのけ、前向きに生きている姿が反響を呼び、多くの愛鳥家からヒナの注文が殺到。

足の不自由な自分にも、仕事ができることに喜びを感じ、高橋は、ますます熱心に取り組んでゆきました。

小鳥も、人間と同じように病気にかかる。

おなかを壊したり、栄養失調になったり、骨折したり、皮膚病で羽毛が抜けたり。。。

それなのに、どこにも小鳥専門の医者はいない。
病院もありませんでした。

そこで彼は、決意!

「小鳥の病気を、前人未到の学問として体系づけ、
 この新しい分野を開拓することに人生を投入したい」
(高橋『小鳥のお医者』)

10年間、地道な研究を続け、諦めずたゆまず、
病気の原因を解明しようとして解剖した小鳥の数は2000羽を超えたといいます。

孵化、飼育、健康管理、診療などの科学的な技術を身につけ、
昭和37年、家畜診療所の許可を改めて受け、
ついに悲願の「小鳥の病院」の看板を、東京の田園調布に掲げるのでした。

これが日本初の、小鳥の病院の誕生です。

平成6年、69歳で亡くなるまで、小鳥の命を守り続けた高橋達志郎。

たとえどん底に落ちても、あきらめず、他人を恨まず、
コツコツ努力して道を開いてゆく彼の生涯に心を打たれます(*^_^*)

仏教で教えられる善行に、忍辱(忍耐)精進(努力)があります。

正しい方角に向って、耐え忍び、コツコツ努力を続ける(^_^)

「継続は力なり」

常に、忍耐と精進でガンバです!
 

【感謝と努力で乗り越える】

予約している人間ドックの日が近づいてきました(^_^;)

どこかに問題がないだろうか、何かでひっかからないだろうか、
と不安ですが、、行ってきます(>_<)

今回は「小鳥の医者」高橋達志郎を紹介します(^_^)

敗戦直後の東京には、狂犬病が多発していました。

人間にも感染する恐ろしい病気で、発病すれば、ほぼ100%助からない。

昭和22年6月。

「獣医師になりたい」という子供のころからの夢がかない、
希望あふれるスタートを切った高橋達志郎は、東京都の公衆衛生監視員として、
狂犬病対策に日夜、奔走していました。

そんなある日、捕獲された狂犬病のイヌの解剖中に、自分の親指を切ってしまったのです。

慌てて消毒し、18日間、ワクチンを注射し続けた結果、その副作用で下半身が麻痺。

1、2日、様子を見ましたが症状は重くなるばかり。

しびれは下半身から胸まで上がってきました。

彼は、この時の心境を、次のように書き残しています。

「自分の悲運、ピンチを知った私は、早く楽になるため、
 刃物でもあれば、グサリとわが身に突き刺して死にたいと、
 自殺することばかりを考えた」

肉体の苦しさは、絶え間なく続きます。

下半身がしびれて、尿意があっても排泄できず、膀胱炎に。

治療に必要なガーゼや脱脂綿さえ不足している時代。

高熱に浮かされる日が続いても、氷も手に入らない。

ところが、高橋は乗り越えました。

献身的な看護に当たってくれた母や兄、姉妹の姿に、

「自分のことを、こんなに大事に思ってくれる皆を、裏切ることはできない。卑怯なまねはできない」

の感謝の心が、勇気、元気の源となり、力が湧き上がってきたのです。

心の向きが変わると、病は、誰もが驚く程、快方へ向かい、

やがてベッドで上半身を起こせるようになりました。

次は、つかまって立つ努力を始め、何とか立てるようになったら、

歩行器を使って、必死に足を動かす訓練を続けました。

そして、昭和26年11月、ついに4年間の入院生活を終え、懐かしいわが家へ帰宅。

そんな彼は、11年後、日本初の「小鳥の病院」を設立、「小鳥の医者」として活躍してゆくのでした。

(詳しくは次回)

どうせ私の将来なんて、おしまいだ、と決して悲観してはなりません。

決められた未来はないのだよ、自分の未来は、自分の行いによって、変えてゆけるのだ、
とブッダは教えられました。

困難にぶち当たったときこそ、諦めず、感謝と努力で乗り越え、より飛躍したいものです。

ガンバ!
 

【「難の難 乗り越えてこそ 光あり」】

【「難の難 乗り越えてこそ 光あり」】

雪道を車で走行していたら、トレーニングウエアーを着て走っている人があり、びっくり!

きっと何かのスポーツ大会に出ようと頑張っているのだろうなぁ。。
と思うと、私ももっと努力しなければ(走るわけではないですが)と反省し、奮起させられました(^_^)

成功者は、みな努力家ばかり。


大化学者、パスツールの幼少期はどうであったのか。

名門校の受験を目指し15歳でパリへ出たものの、ホームシックにかかり、憔悴し切って帰郷。。

進学を断念するかと危ぶまれましたが、近くの学校で勉強し直しているうちに、
もう一度、パリへ行き、化学者になりたい、の気持ちが強くなってきました。

父も進学を許してくれましたが、すぐに学費の工面ができませんでした。

そこで、じっくりと時間をかけて苦手な科目を克服し、4年目に受験しましたが、満足な成績が取れず不合格。

それでも諦めず、5年目に再び挑戦し、見事、トップクラスの成績で合格(^_^)。

20歳になっていました。

念願かなったパスツールは、勉学と研究に熱中。

余りの勤勉に、体を酷使するのではと心配した父親は、手紙で息子を諭しています。

「いつも夜遅くまで勉強しているようだが、父さんは、とても心配している。
 病気になったらどうするんだ。そんなにあせる必要はない。
 おまえへの仕送りぐらい、まだまだ続けられるから安心しておくれ」

その父への返事は。。

「クラスの中には、先生の話を半分くらいしか聴かなくても
 理解してしまう優秀な人もいます。
 でも、僕は、人の2倍、3倍の時間をかけて、
 頭の中で整理しないと、完全には納得できないのです。
 だから、人が寝ている間に勉強しないと追いつけません。
 若いから、多少、睡眠時間を削っても平気です。
 体調管理には気をつけますから、安心してください」

自分に力がないといって、嘆いたり、落ち込んだりするのではなく、
人の2倍、3倍の時間をかけて努力すれば、必ず追いつき、追い越せる。

これが、後に、恐ろしい伝染病から人類を救う研究者になったパスツールの一貫した信念でした。

2600年前、ブッダは、「精進」という「」を進められています。

懈怠であってはなりませんよ、正しい方角に向って、努力しなさい。

「精進」とは「努力」のこと。

「まいたタネは必ず生える。
 まかぬタネは絶対に生えぬ。」

光に向って、ひたむきに努力し続ける人の未来は必ず明るいものになります。

「難の難 乗り越えてこそ 光あり」

ガンバ(^_^)!!

 

【「よい縁」になりたい】

スタップ細胞についての残念なニュースが流れています(^_^;)

門外漢が言うのは何ですが、、
色々な批判を浴びる中、それでも、最後まで信念を貫いて諦めず頑張り抜くことが出来る人こそが、
本当の科学者なのだろうなぁ。。と思いました。

この研究は、これまでなのか、、これからなのか。

年末は数回に分け、フランスの大化学者、パスツールのことを通して話したいと思います(^_^)

彼は、恐ろしい伝染病から人類を救う研究に生涯をささげ、どれほど社会に貢献したか分かりません。


そこには、親の熱い子供への愛情が隠されていました。

パスツールの父は、東フランスの、小さな町の職人でした。

夫婦2人で働く、ささやかな店なので家計は厳しい。

それでも、自分たちが満足に学校へ行けなかった分、
息子にだけは、ちゃんとした教育を受けさせてやりたいと願っていました。

父親は、「この家の仕事を継ぐ必要はない。自分の好きな道へ進みなさい」と、よく息子を励ましていたそうです。

パスツールは、成績のよいほうではなく、目立たない子供でした。何をするのも遅くて、周囲をあきれさせるほど。

しかし、校長先生は、そんな彼を見て、
「天才ではないが、物事を深く考える性格は学者に向いている」
と見抜き、パリの有名校へ進学させてはどうか、と両親に勧めました。

息子を褒めてもらったのはうれしいが、お金がかかりすぎる。

父と母は悩んだ末に、やはり子供の将来には代えられない、と進学させることを決意。

受験に備え、パスツールが、パリの予備校へ入ったのは15歳の時でした。

ところが、ホームシックにかかってしまい、
次第に、授業が頭に入らなくなり、食事も喉を通らない。夜も眠れない。

両親や家のことばかり思い出して涙ぐむようになりました。

心配をかけまいとして、家へ出す手紙には「元気にやっています」
と書いていたが、親は子供の変化には敏感です。

父親は、「このままでは、本当に病気になるかもしれない。そうなっては手遅れだ」と感じ始めていました。


ある日の朝、寮の友人から「誰かが会いに来ているよ」と言われ、出てみると、
予想もしない、そこには父の姿が。

「お父さん……、どうして?」

「おまえを迎えに来たのさ」

父は、こう言っただけでした。

パリへ出すのに、どれだけ苦労してお金の工面をしたか分かりません。

それが、わずか1ヵ月足らずで郷里へ帰るはめになったのに。。

「あせってはいけない。この子に、期待をかけすぎたのかもしれない」父親は、自分に言い聞かせていました。

ここで親が、叱ったり、愚痴を言ったり、責めたりしていたら、
後年の輝かしいパスツールは存在しなかったかもしれません。


仏教では、「自業自得」と言われ、
幸福(善い運命)も、不幸(悪い運命)も、すべては、私のやった行いが私の運命を生み出す、
それには万に一つも例外はないのだと教えられます。

勉強ならば、子供が頑張らなければ、子供の成績が上がらないのは当然です。

では、親が子供にどう拘われるのか。

少しでも「よい縁」になることでしょう。

子供の将来に、親が及ぼす影響(縁)は、計り知れません。

世間では、子供は親を選べないと言われますが、
仏教では、子供は親を選んで生まれてきた、、と言われます。
(このことは「勉強会」で詳しく話しています)

自分を親と選んで生まれてきてくれたのだと思うと、
お粗末な私も、子供にとって、少しでも「よい縁」になってやりたい、、と強く思わずにはおれません。

パスツールの両親ほどの温かい言動がとれなくても、、
少しでも見習って、自分に出来ることを模索し実行してゆきます!(^_^)
 

【「唯我独尊」】

【「唯我独尊」】

大変ご無沙汰してしまい、すみません(>_<。)

色々なことが、人生に起きるもので。。

悲喜交々、、すべてを向上のご縁として、
生きる目的に向って感謝し前向きに進みたいと思います(^_^)

仲の良い友人が、年始に決意したメルマガ投稿目標数に大きく下回っているから
と挽回すべく一生懸命文章を作って頑張っています。

諦めず頑張る姿がまぶしい(>_<)

来年まで、あと2週間を切ってしまいましたが、、私も見習って、精一杯頑張ります!


「トロイの遺跡発掘」の夢を果たしたシュリーマンについての最終回(これで3回目)。


努力が報われない22歳のシュリーマンに、ついに転機が訪れました。

必死で学んだ語学力を買ってくれる会社が見つかったのです。

転職したシュレーダー商会では、彼の熱心な仕事ぶりを評価し、給料もアップしてくれました。

しかし、シュリーマンは現状に甘んじることはありませんでした。

ロシアとの取引が多いのに、なぜか社内にロシア語の話せる者がいないことに気づいたのです。

「ロシア語をマスターすれば、この会社に、なくてはならぬ存在になれる」と確信し、勉強を始めました。

しかし、当時のアムステルダムには、ロシア語を話せる人がほとんどいませんでした。

学びたくても、先生がいない。

書店にも、ロシア語の教科書はない。

誰もがあきらめて学ぼうとしなかったロシア語。

とこが、シュリーマンは、粘り強く古本屋を回り、
ようやく、文法書と辞書、ロシア語訳の小説を手に入れ、独習を開始。

小説を丸暗記し、毎晩、大声で朗読するため、
アパートの住人から苦情が出て、二度も住まいを変えました。

そして、、6週間後には、ロシアの商人と流暢(りゅうちょう)に語り合うまでに成長。

これにはシュレーダー商会の幹部は、びっくり。

彼は、すぐにアムステルダムにやってきたロシア商人の応対を任されるようになりました。

2年後には、わずか24歳のシュリーマンが、
会社の代理人としてロシアへ派遣され、まもなく、一商人としての独立も認めらたのです。

その後のシュリーマンは、語学を生かし、様々な取引で、成功を収めて行きました。

財産も、倍、倍、倍と増えていき、一年後には、ロシアの大商人として、
その名を知られるようになりました。

商人として、幾晩も眠れない試練もありましたが、
しかし、語学習得に発揮したのと同じ勤勉さで、苦難を乗り越え、
40歳を過ぎるころには、世界的な大富豪になっていました(>_<)

ここで、彼が商売を続けていれば、ただの大金持ちで終わり、
歴史に名を残すこともなかったでしょう。。


彼の人生が、最も人々を感動させるのは、これからです。

「いよいよ、子どものときからいだき続けてきた理想を
 大々的に追求する時機がきた」

と宣言し、潔く、商売を止め、世界旅行と、
フランスで考古学を学んだ後、いよいよ念願のトロイの発掘の準備に取りかかりました。

トロイは、エーゲ海沿岸の、どこかにある。

シュリーマンは、ギリシャの古典を研究し、
ヒッサリクの丘に狙いを定め、私財を投じて、発掘を開始。

この時、49歳。

幼い日に夢を抱いてから、42年後のことです。

東西約200メートル、南北約150メートルの丘を、
一日に100人以上の労働者を雇って掘っていきました。

その人件費だけでも、莫大な金額です(>_<)

灼熱の太陽と闘いながら、シュリーマンの心は燃えていました。

2年かけた発掘作業で、
3000年以上も前の、巨大な城壁、城門などが次々に姿を現してきました。

ついに、一人の男の、夢の力が、
エーゲ海に未知の文明が存在したことを証明したのです。

シュリーマンの波乱の人生と発掘への情熱は、
「夢を掘り当てた人」として、
 多くの物語や戯曲、オペラなどの題材となりました。

彼の死から100年以上たった現在でも、根強い人気を誇っています。

彼は、一生を振り返り、こう言ったと言われます。

「たしかに私の心は金に執着してきただろう。

 しかしそれは、
 私の生涯を賭けた大目的を成就するための
 手段と考えていたからにすぎない」

最も大切なのは、
まず、「生きてよかった」と大満足できる本当の人生の目的を見つけること。

『唯我独尊』(ブッダ)

「ただ(唯)、我々人間(我)にしか果たすことのできない
たった一つの素晴らしい人生の目的(独尊)がある」
とブッダは宣言されています(^_^)

最も大切なことを、これからも共に学んでゆきましょう(^_^)


 
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