【「唯我独尊」】

【「唯我独尊」】

大変ご無沙汰してしまい、すみません(>_<。)

色々なことが、人生に起きるもので。。

悲喜交々、、すべてを向上のご縁として、
生きる目的に向って感謝し前向きに進みたいと思います(^_^)

仲の良い友人が、年始に決意したメルマガ投稿目標数に大きく下回っているから
と挽回すべく一生懸命文章を作って頑張っています。

諦めず頑張る姿がまぶしい(>_<)

来年まで、あと2週間を切ってしまいましたが、、私も見習って、精一杯頑張ります!


「トロイの遺跡発掘」の夢を果たしたシュリーマンについての最終回(これで3回目)。


努力が報われない22歳のシュリーマンに、ついに転機が訪れました。

必死で学んだ語学力を買ってくれる会社が見つかったのです。

転職したシュレーダー商会では、彼の熱心な仕事ぶりを評価し、給料もアップしてくれました。

しかし、シュリーマンは現状に甘んじることはありませんでした。

ロシアとの取引が多いのに、なぜか社内にロシア語の話せる者がいないことに気づいたのです。

「ロシア語をマスターすれば、この会社に、なくてはならぬ存在になれる」と確信し、勉強を始めました。

しかし、当時のアムステルダムには、ロシア語を話せる人がほとんどいませんでした。

学びたくても、先生がいない。

書店にも、ロシア語の教科書はない。

誰もがあきらめて学ぼうとしなかったロシア語。

とこが、シュリーマンは、粘り強く古本屋を回り、
ようやく、文法書と辞書、ロシア語訳の小説を手に入れ、独習を開始。

小説を丸暗記し、毎晩、大声で朗読するため、
アパートの住人から苦情が出て、二度も住まいを変えました。

そして、、6週間後には、ロシアの商人と流暢(りゅうちょう)に語り合うまでに成長。

これにはシュレーダー商会の幹部は、びっくり。

彼は、すぐにアムステルダムにやってきたロシア商人の応対を任されるようになりました。

2年後には、わずか24歳のシュリーマンが、
会社の代理人としてロシアへ派遣され、まもなく、一商人としての独立も認めらたのです。

その後のシュリーマンは、語学を生かし、様々な取引で、成功を収めて行きました。

財産も、倍、倍、倍と増えていき、一年後には、ロシアの大商人として、
その名を知られるようになりました。

商人として、幾晩も眠れない試練もありましたが、
しかし、語学習得に発揮したのと同じ勤勉さで、苦難を乗り越え、
40歳を過ぎるころには、世界的な大富豪になっていました(>_<)

ここで、彼が商売を続けていれば、ただの大金持ちで終わり、
歴史に名を残すこともなかったでしょう。。


彼の人生が、最も人々を感動させるのは、これからです。

「いよいよ、子どものときからいだき続けてきた理想を
 大々的に追求する時機がきた」

と宣言し、潔く、商売を止め、世界旅行と、
フランスで考古学を学んだ後、いよいよ念願のトロイの発掘の準備に取りかかりました。

トロイは、エーゲ海沿岸の、どこかにある。

シュリーマンは、ギリシャの古典を研究し、
ヒッサリクの丘に狙いを定め、私財を投じて、発掘を開始。

この時、49歳。

幼い日に夢を抱いてから、42年後のことです。

東西約200メートル、南北約150メートルの丘を、
一日に100人以上の労働者を雇って掘っていきました。

その人件費だけでも、莫大な金額です(>_<)

灼熱の太陽と闘いながら、シュリーマンの心は燃えていました。

2年かけた発掘作業で、
3000年以上も前の、巨大な城壁、城門などが次々に姿を現してきました。

ついに、一人の男の、夢の力が、
エーゲ海に未知の文明が存在したことを証明したのです。

シュリーマンの波乱の人生と発掘への情熱は、
「夢を掘り当てた人」として、
 多くの物語や戯曲、オペラなどの題材となりました。

彼の死から100年以上たった現在でも、根強い人気を誇っています。

彼は、一生を振り返り、こう言ったと言われます。

「たしかに私の心は金に執着してきただろう。

 しかしそれは、
 私の生涯を賭けた大目的を成就するための
 手段と考えていたからにすぎない」

最も大切なのは、
まず、「生きてよかった」と大満足できる本当の人生の目的を見つけること。

『唯我独尊』(ブッダ)

「ただ(唯)、我々人間(我)にしか果たすことのできない
たった一つの素晴らしい人生の目的(独尊)がある」
とブッダは宣言されています(^_^)

最も大切なことを、これからも共に学んでゆきましょう(^_^)


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