2015年5月

生きる目的と手段の違いとは

何をするにしても「目的」に求められる重要な条件が1つあります。

それは、目的には達成や完成が無ければならないということです。

 

なので生きる目的と手段の大きな違いは、

生きる手段(お金や仕事)や生き方には完成がありませんが、

生きる目的には、これで果たしたとか、完成したということがあることです。

 

 例えば、生きる手段や生き方である、仕事や趣味、生きがいには完成がありません。

仕事の技能がどれだけ向上しても、そこに完成はありません。

いくらでも向上できるからです。

 サッカーの練習をいくら行っても、「これで完成した!」というゴールがありません。

伸びしろがいくらでもあるからです。

 また、パソコンの性能や建築技術が常により良いものを求めて発展し続けていくように、

独立して起業しても、完成がありません。

常に少しでも事業を良くするために、倒れるまで走り続けることになります。

 

書道、柔道、剣道、茶道、華道、絵画や彫刻、音楽、スポーツ、学問、

その他、世の中にはたくさんの道がありますが、

これで完成ということがありません。

 

ひょっとしたら完成できるのではないかというのは、

初心者が思うことです。やればやるほど道の果てしなさが知らされ、

どこまで行っても果てしない道のりがあるだけです。

 

天才物理学者アインシュタインも

「深く探求すればするほど、知らなくてはならないことが見つかる。

人間の命が続く限り、常にそうだろうと私は思う。」byアインシュタイン

と言っています。

 

このように、どこまで求めても完成ができないものは、

人生の目的とはいえないのではないでしょうか。

 

確かに、お金や仕事などは生きていくのに不可欠な手段です。

それらがなければ生きていけませんので大事なことです。

ですが、死ぬまで求まったということがないので、

生きる目的にはなりません。

それらをどこまで求めても、死ぬまで心の底からの幸せ、満足はないからだと、

仏教では教えられます。

目的と手段の違いが分からず、果てしない生き方や生きる手段のみを求め続けてしまうと、

徳川家康のように、いくら世界的な功績を残しても、

死ぬまで心の底からの満足ができない、ということになってしまいます。

 

仏教では、これ1つ果たせば人生大満足、

いつ死んでも後悔なし、という幸せが教えられています。

 

誰でも仏教を学ぶことで、生きているときに

ここまで頑張ってきて生きてきて良かった心から満足できる、

人生の本当のゴールにたどり着くことができます。

その、生きる目的とは何でしょうか?

 

2つの幸せとは?

すべての人は一言でいえば幸せを求めて生きています。

私たちが行っているすべてのこと、
「一体なんのためにそんなことやっているのですか?」と聞いていくと、

どんな人でも必ず最後に行き着く答えは「幸せになるため」。

 

ですから、勉強するのも、大学に進学するのも、

仕事するのも色んなセミナーに行くのも、悩みを相談するのも、

それが好きでなくても、苦しくてもやっているのは、

そうした方が今より楽(幸せ)になれると思うからです。

仕事が辛くても給料が入れば失業してお金がないより幸せだと思うからです。

 

趣味や結婚もそうです。
「この人と結婚すれば不幸になる」と思えば結婚しないはずです。

わざわざ電車を乗り継いで遠くの友達の家に遊びに行くのも、

その方がワクワク(今よりも幸せ)という思いが根底にあって行動しているはずです。

 

自殺する人でさえ、あまりの苦しさに死んだほうが楽(幸せ)に

なれると思っているから自殺するのでしょう。

 

幸せにへのアプローチに仕方は人それぞれですが、

結局は誰もが幸せになるために生きています。

 

全人類に共通した生きる目的は、幸せになる。

ところが、生まれてから今まで、私たちは心の底から満足する

幸せになったことがあるでしょうか?

 

人類の歴史を振り返ると、社会制度が変わり飛躍的な経済成長を遂げ、

科学が発展し世の中に電球や飛行機が現れて便利になりました。

しかし、心からの安心や満足はないのが実態です。

 

それどころか、経済のグローバル化と競争社会の激化で、

さらなる成長を維持するために、人々はかえって苦しんでいます。

 

私たち個人としても、生まれてから今まで、

幸せを求めて生きてきたのに、なぜ幸福感が変わらないのか。

 

仏教では、それは幸せに2種類あることを知らないからと説かれます。

その2種類の幸せとは?

 

【確実な未来への備えを怠っている私たちへの戒め】

GW真っ只中(^_^)

今年は、どこにも行かずにひたすら仙台で勉強会です。。

ブッダが説かれた、未来の一大事。

すべての人が直面しなければならない確実な未来とは。

今回は、誰もが知っている、イソップ童話から。。

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真夏の太陽が、ギラギラと輝いている。

こんな蒸し暑い日も、アリたちは、

せっせと田畑を歩き回って、食料を集めていた。

やがて訪れる、寒い寒い冬に備えて……。

一方、陽気で楽天家のキリギリスは、

涼しい日陰で、得意のバイオリンを弾いて、歌って、遊んでばかり。

黙々と働いているアリを見るとバカらしくなってきた。

「どうして、そんなに一生懸命に働くんだい?
 
 もっと楽しく毎日を過ごせばいいじゃないか」


アリは忠告する。

「あなたは、雪に覆われた寒い冬がきても、その調子で浮かれているつもりなの。

 必ずやってくる冬の準備をしておかないと、大変なことになるよ」

「冬? そんなの、ずっと先のことじゃないか。

 それに食べ物だって、こんなにたくさんあるんだ。

 今のうちに、遊んでおかないで、どうするんだい」

キリギリスは、笑ってばかりいた。


季節は、確実に巡る。

青々と茂っていた葉も、少しずつ茶色くなり、枯れていく。

やがて雪が降りだした。

ついに冬が到来し、一面の銀世界。


キリギリスは、空腹と寒さに泣きながら、雪の野原をさまよっていた。

「そうだ、アリさんの家に行って、食べ物をわけてもらおう」

アリたちは、夏の間から準備してあった暖かい家で、楽しく過ごしていた。


玄関を訪れたキリギリスに、アリは言った。

「君は、夏の間、一生懸命に働いている私を、

 バカにしていたじゃないか。

 少しでも忠告を受け入れて、あの時に働いていれば、

 今、苦しむことはなかったはずだよ」

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イソップ童話の中で、最も有名な話ですね(^_^)

「ああ、あの話か」と、あなどる前に、

これまで、キリギリスと同じような後悔をしてこなかったか、

振り返ってみましょう。

テストの日が、前もって発表されているのに、ついつい遊んでしまい、

直前になってあわててしまったり……。

期限が決まっている仕事への取り組みが遅れて、前日に徹夜をしたり……。

ギリギリでも間に合えばいいが、

取り返しがつかない事態に発展したら、どうするのか。


キリギリスも、やがて冬が来ることは知っていたはず。


「分かっている」と言いながら、

確実な未来への備えを怠っている私たちへの戒めでしょう。


では、ブッダが一番問題にされた未来とは。

100%確実な未来であり、明日かもしれない未来。

いや今晩かもしれない。

それは、「生ある者は必ず死に帰す」と言われるように、

万人が逃れることができない死の大問題。

これを生死の一大事と言い、その解決こそ仏教の目的なのです。

何がそんなに一大事なのか。

今死なねばならないとなっても、我が人生悔いなし、

と心から思える生き方がしたい方は、是非、

勉強会にお越し下さいませ(*^_^*)
 
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