地下鉄サリン事件から20年。
もうそんなになるのか、、
時の経つのは早いなぁ、と思わずつぶやく。
当時大学2年生だった私は、仏教の素晴らしさを知り、
生涯、本当の幸せを伝える仏教講師なりたい
と心が定まった頃の出来事でした。
無差別殺人を犯す、反社会的なカルト宗教が、
仏教を名乗っている。
宗教や仏教に対するイメージが
悪くなってゆくのを肌で感じる中での決断でした。
それでも、本当の仏教を
一人でも多くの人に知ってほしいと、
胸を張って、
周囲の友達とはまったく異なる方角へ進みました。
平成9年、大学を卒業してまもなく、
仏教講師の道へと飛び込む(^_^)
毀誉褒貶(ほめられたり、けなされたりの世評)は、
今も常にありますが、
一度も辞めようと思ったことはありません。
死ぬまで続けるつもりです。
私がもっとも尊敬する歴史上の人物は、親鸞聖人。
今から約800年前、公然と、当時の常識を打ち破り、
「肉食妻帯」をなされ、どんな人も差別なく、
ありのままの姿で絶対の幸福になれるのだ
と伝え続けてゆかれた一生涯。
そのたくましさ、信念には圧倒されるばかり。
作家の夏目漱石は、
「親鸞聖人に初めから非常な思想が有り、
非常な力が有り、非常な強い根底の有る思想
を持たなければ、あれ程の大改革(肉食妻帯)は出来ない」
と言っています。
宗教、仏教に対する偏見、誤った常識を打ち破り、
日本を担う世代にこそ仏教を伝えたい!
仏教の知識ゼロの方にも分かって頂きたいと
ブレずに話し続けてきましたが、
気が付けば、かつての大学生は、
40歳のオヤジに(^_^;)
まだまだこれからです!
振り返ると色々なことがありました。
未曾有の大震災も経験。
日々、
「諸行無常(すべてのものは常がなく続かない)」
の仏説まことが知らされる毎日。
こんな不安定な世の中で、
絶対に変わらない、崩れない、裏切られることのない
本当の幸せがあることを
一人でも多くの方に、分かり易く伝えたい。
すべての人に、幸せになってほしい。
一層の奮起を誓います(^_^)
ガンバ!
東日本大震災から4年が経ちました。
当時、私は、東京のビルの3階におり、未だかつて体験したことのない揺れにびっくりしたことを覚えています。
しかし、もっと驚いたのは、その後の映像で知った津波による大惨事。
少しでも復興の力になりたい、の念願が叶い、東北で活動するようになり2年3ヶ月が経ちました。
被災された方々から直接、当時のことを聞かせてもらう度、言葉を失います。
しかし、ひるんではおれない。
日々、ほふく前進している感じですが、一人でも多くの方に本当の幸せになって頂けるよう、
これからも精一杯、私は私の立場で、頑張りたいと思います!
今日は、イソップ童話から紹介します(^_^)
ある男が、木彫りの神像を作って市場で売っていました。
見るからにありがたそうな格好ですが、さっぱり売れません。
なんとか客を集めようとして、大声で叫びました。
「商売繁盛の、福の神はいらんかね」
すると、通りかかった男が、冷やかします。
「おい、そんなにありがたいものなら、どうして売るのだ。
自分がそのご利益にあずかればよいじゃないか。
だいたい、おまえの店は、さっぱり繁盛していないぞ」
ちょっと考えれば、おかしいと分かるようなことが、世の中に横行しています。
それは、2000年以上も前のイソップの時代も、現代も変わらないのではないでしょうか。
「困ったときの神だのみ」。
順境の時には冷静に判断できることでも、病気や災難などの不幸が続くと、
人間は心が弱くなり、インスタント的「ご利益」を強調するものに迷いがちです。
私たちの運命は何によって決まるのか。
最も知りたい運命の仕組みについて仏教では、「善因善果 悪因悪果 自因自果」と明かされています。
幸福という善い運命(善果)は、善い行い(善因)が生み出したものであり(善因善果)、
不幸や災難(悪果)という悪い運命は、悪い行い(悪因)が引き起こしたもの(悪因悪果)、
善いのも悪いのも自分の運命(自果)の全ては自分のやった行い(自因)が生み出したものなのだよ(自因自果)、
とブッダは教えられました。
私の行いの善し悪しが、私の運命を生み出す。
「あれを見よ みやまの桜 咲きにけり 真心つくせ 人しらずとも」
これは、私が大好きな仏教の歌の一つ(^_^)。
誰も見ていなくても、みやま(奥深い山)に咲く桜は、きれいな花を咲かせています。
誰も見ていなくても、心を正して善い行いに努めれば、必ず善い結果が返ってくると歌われているのです。
まだまだ多くの方が心の傷みを抱え、復興が進んでいるとは言い難い面もありますが、
逆境の時こそ、落ち着いて物事を判断し、正しい方角に向って堅実に着実に努力をしてゆきたいと思います。
気がつけば、3月に突入し、、すでに一週間が過ぎようとしています(^_^;)
やりたいことは沢山ありますが、何をして、何をしないか。
優先順位をつけることに悩みますが、、チャレンジしたいことが沢山あるのは幸せなこと、
と感謝もしています(*^_^*)
やりたくないことを鼻をつまみながらしていても、やる気もでないし失敗もする。
しかも、、ミスをしたら人のせいにするかもしれません。
今回は、仙台が誇る部将、伊達政宗について。
彼が、「責任転嫁」を罰した書状が残っています。
事件の詳細は、よく分かりませんが、佐平次(さへいじ)という家臣が、
時間を聞き間違えて、主君・政宗に迷惑をかけたらしい。
ところが佐平次は、自分の非を素直に認めず、言い訳をしました。
悪いのは同僚だと言い張ったのです。
明らかな責任転嫁。政宗は、許しませんでした。
佐平次に命じたのは切腹。
驚いたのは、彼の親です。
「なぜ、そんな些細なことで切腹なのか」
親類一同が、あわてて助命を嘆願しに来たので、
政宗は、次のような書状を書き、奉行に厳正な処罰を命じています。
「佐平次が責任転嫁した現場に、私も居合わせたので、
経緯は十分に把握している。
聞き間違いは、誰にでもあることだ。
そんな理由で成敗を加えるのではない。
自分が悪いと正直に詫びずに、同僚に罪をなすりつける態度が、
あまりにも卑劣なので、厳罰を命じたのだ」
追伸として、もう一度、繰り返しています。
「時間を聞き間違えたから罰するのではない。
確かに、今回の失敗そのものは小さいことかもしれない。
だが、自分が犯した過ちを、他人のせいにするのは、
非常に重い罪なのだ」
自分の失敗を、他人のせいにしたら、信用をなくすだけ。
しかも、それは本人だけの損失では終わりません。
当然、責任転嫁された人の心は傷つくでしょうし、恨みも抱くでしょう。
和が乱れ、団結が損なわれるのは間違いありません。
また、些細なことさえ責任転嫁する者は、
重大なミスを犯した時には、なおさら隠蔽工作をするはず。
組織が瓦解する元凶となるでしょう。
周り中が敵である戦国時代においては、
まさに一国、一城の存亡の危機に直結する大問題であったのです。
さすがに、切腹は厳しすぎるようにも思いますが、、
自分の行動に責任をもち、決して人のせいにせず、
失敗も成功の元として、常に前向きにチャレンジしてゆきたいと思います。