東日本大震災から4年が経ちました。
当時、私は、東京のビルの3階におり、未だかつて体験したことのない揺れにびっくりしたことを覚えています。
しかし、もっと驚いたのは、その後の映像で知った津波による大惨事。
少しでも復興の力になりたい、の念願が叶い、東北で活動するようになり2年3ヶ月が経ちました。
被災された方々から直接、当時のことを聞かせてもらう度、言葉を失います。
しかし、ひるんではおれない。
日々、ほふく前進している感じですが、一人でも多くの方に本当の幸せになって頂けるよう、
これからも精一杯、私は私の立場で、頑張りたいと思います!
今日は、イソップ童話から紹介します(^_^)
ある男が、木彫りの神像を作って市場で売っていました。
見るからにありがたそうな格好ですが、さっぱり売れません。
なんとか客を集めようとして、大声で叫びました。
「商売繁盛の、福の神はいらんかね」
すると、通りかかった男が、冷やかします。
「おい、そんなにありがたいものなら、どうして売るのだ。
自分がそのご利益にあずかればよいじゃないか。
だいたい、おまえの店は、さっぱり繁盛していないぞ」
ちょっと考えれば、おかしいと分かるようなことが、世の中に横行しています。
それは、2000年以上も前のイソップの時代も、現代も変わらないのではないでしょうか。
「困ったときの神だのみ」。
順境の時には冷静に判断できることでも、病気や災難などの不幸が続くと、
人間は心が弱くなり、インスタント的「ご利益」を強調するものに迷いがちです。
私たちの運命は何によって決まるのか。
最も知りたい運命の仕組みについて仏教では、「善因善果 悪因悪果 自因自果」と明かされています。
幸福という善い運命(善果)は、善い行い(善因)が生み出したものであり(善因善果)、
不幸や災難(悪果)という悪い運命は、悪い行い(悪因)が引き起こしたもの(悪因悪果)、
善いのも悪いのも自分の運命(自果)の全ては自分のやった行い(自因)が生み出したものなのだよ(自因自果)、
とブッダは教えられました。
私の行いの善し悪しが、私の運命を生み出す。
「あれを見よ みやまの桜 咲きにけり 真心つくせ 人しらずとも」
これは、私が大好きな仏教の歌の一つ(^_^)。
誰も見ていなくても、みやま(奥深い山)に咲く桜は、きれいな花を咲かせています。
誰も見ていなくても、心を正して善い行いに努めれば、必ず善い結果が返ってくると歌われているのです。
まだまだ多くの方が心の傷みを抱え、復興が進んでいるとは言い難い面もありますが、
逆境の時こそ、落ち着いて物事を判断し、正しい方角に向って堅実に着実に努力をしてゆきたいと思います。