未分類 ~ゼロからわかる仏教講座 山形~

参加者の声③

●因果の道理を聞いて、自分は今まで、大きなことを見て、

 大きな段差を越えようとしていたが、やはり小さなステップを

 一つ一つ登っていくことが最善の幸せへの近道だと思いました。

 人には、親切に、どんな些細な一言でも、

 笑顔で接していくことを続けていきたいと思います。(20代・男性)

 

●先生の例え話がとても分かりやすく、全体を通して体系的に頭に

 入りました。六度万行の中で、今一番必要なのは、「精進(努力)」

 なのかと感じました。少しずつ徹底して行いたいと思います。

 ノートをゆっくりと読み返して、

 日常生活に落としこんでいきます。(40代・男性)

 

仏教の教えについて、初めてふれて、とても感動しました。

 聞いたお話全てにおいて、深く考えてみたいと思います。

 六度万行の6つのうち1つと言っも、たった1つでも守りぬくことは

 大変なように感じますが、どれか決めて取り組みたいです。(40代・女性)

 

●本日の「六度万行」は、今の自分が聞くべき、タイムリーな内容でした。

 「今後自分はどうすれば良いか?」ではなく、「どうしたいか?」が大切であり、

 小手先の器用さ、ツールなどよりも、やりたいという気持ちが大切とわかりました。

 頭でわかっていることを行動におとすことは難しいですが、

 今日の気持ちを大切にして、何か踏み出してみたいと思います。(30代・男性)

 

参加者の声②

●周囲や環境を変えても、何も変わらない。全ては自分の心、

 自分次第だということを再認識致しました。自分を変える、

 そして他人を愛する、今後も続けていこうと思います。(20代・女性)

 

●大切なのは自分の周囲や環境を変えることではなく、

 自分の心次第であるということは自分でわかっているようで

 言われてみて再認識しました。(50代・女性)

 

●初めて聞くので難しいかと思いましたが、ペースもゆっくりだったので

 聞きやすかったです。今日の続きが気になります。(30代・女性)

 

 

参加者の声①

親切の意味がわかったのがよかった。

 心までいっしょに気持よくやるのは、なかなか難しい。

 1日学べて楽しかったです。

 また、こういう機会があるといいと思います。(40代・女性)

 

●因果の道理を教えて頂き、職場の利用者さん(高齢者)とも色々

 お話することがあり、できるだけ六度万行できればと思います。(40代・女性)

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【「難の難 乗り越えてこそ 光あり」】

【「難の難 乗り越えてこそ 光あり」】

雪道を車で走行していたら、トレーニングウエアーを着て走っている人があり、びっくり!

きっと何かのスポーツ大会に出ようと頑張っているのだろうなぁ。。
と思うと、私ももっと努力しなければ(走るわけではないですが)と反省し、奮起させられました(^_^)

成功者は、みな努力家ばかり。


大化学者、パスツールの幼少期はどうであったのか。

名門校の受験を目指し15歳でパリへ出たものの、ホームシックにかかり、憔悴し切って帰郷。。

進学を断念するかと危ぶまれましたが、近くの学校で勉強し直しているうちに、
もう一度、パリへ行き、化学者になりたい、の気持ちが強くなってきました。

父も進学を許してくれましたが、すぐに学費の工面ができませんでした。

そこで、じっくりと時間をかけて苦手な科目を克服し、4年目に受験しましたが、満足な成績が取れず不合格。

それでも諦めず、5年目に再び挑戦し、見事、トップクラスの成績で合格(^_^)。

20歳になっていました。

念願かなったパスツールは、勉学と研究に熱中。

余りの勤勉に、体を酷使するのではと心配した父親は、手紙で息子を諭しています。

「いつも夜遅くまで勉強しているようだが、父さんは、とても心配している。
 病気になったらどうするんだ。そんなにあせる必要はない。
 おまえへの仕送りぐらい、まだまだ続けられるから安心しておくれ」

その父への返事は。。

「クラスの中には、先生の話を半分くらいしか聴かなくても
 理解してしまう優秀な人もいます。
 でも、僕は、人の2倍、3倍の時間をかけて、
 頭の中で整理しないと、完全には納得できないのです。
 だから、人が寝ている間に勉強しないと追いつけません。
 若いから、多少、睡眠時間を削っても平気です。
 体調管理には気をつけますから、安心してください」

自分に力がないといって、嘆いたり、落ち込んだりするのではなく、
人の2倍、3倍の時間をかけて努力すれば、必ず追いつき、追い越せる。

これが、後に、恐ろしい伝染病から人類を救う研究者になったパスツールの一貫した信念でした。

2600年前、ブッダは、「精進」という「」を進められています。

懈怠であってはなりませんよ、正しい方角に向って、努力しなさい。

「精進」とは「努力」のこと。

「まいたタネは必ず生える。
 まかぬタネは絶対に生えぬ。」

光に向って、ひたむきに努力し続ける人の未来は必ず明るいものになります。

「難の難 乗り越えてこそ 光あり」

ガンバ(^_^)!!

 

【「よい縁」になりたい】

スタップ細胞についての残念なニュースが流れています(^_^;)

門外漢が言うのは何ですが、、
色々な批判を浴びる中、それでも、最後まで信念を貫いて諦めず頑張り抜くことが出来る人こそが、
本当の科学者なのだろうなぁ。。と思いました。

この研究は、これまでなのか、、これからなのか。

年末は数回に分け、フランスの大化学者、パスツールのことを通して話したいと思います(^_^)

彼は、恐ろしい伝染病から人類を救う研究に生涯をささげ、どれほど社会に貢献したか分かりません。


そこには、親の熱い子供への愛情が隠されていました。

パスツールの父は、東フランスの、小さな町の職人でした。

夫婦2人で働く、ささやかな店なので家計は厳しい。

それでも、自分たちが満足に学校へ行けなかった分、
息子にだけは、ちゃんとした教育を受けさせてやりたいと願っていました。

父親は、「この家の仕事を継ぐ必要はない。自分の好きな道へ進みなさい」と、よく息子を励ましていたそうです。

パスツールは、成績のよいほうではなく、目立たない子供でした。何をするのも遅くて、周囲をあきれさせるほど。

しかし、校長先生は、そんな彼を見て、
「天才ではないが、物事を深く考える性格は学者に向いている」
と見抜き、パリの有名校へ進学させてはどうか、と両親に勧めました。

息子を褒めてもらったのはうれしいが、お金がかかりすぎる。

父と母は悩んだ末に、やはり子供の将来には代えられない、と進学させることを決意。

受験に備え、パスツールが、パリの予備校へ入ったのは15歳の時でした。

ところが、ホームシックにかかってしまい、
次第に、授業が頭に入らなくなり、食事も喉を通らない。夜も眠れない。

両親や家のことばかり思い出して涙ぐむようになりました。

心配をかけまいとして、家へ出す手紙には「元気にやっています」
と書いていたが、親は子供の変化には敏感です。

父親は、「このままでは、本当に病気になるかもしれない。そうなっては手遅れだ」と感じ始めていました。


ある日の朝、寮の友人から「誰かが会いに来ているよ」と言われ、出てみると、
予想もしない、そこには父の姿が。

「お父さん……、どうして?」

「おまえを迎えに来たのさ」

父は、こう言っただけでした。

パリへ出すのに、どれだけ苦労してお金の工面をしたか分かりません。

それが、わずか1ヵ月足らずで郷里へ帰るはめになったのに。。

「あせってはいけない。この子に、期待をかけすぎたのかもしれない」父親は、自分に言い聞かせていました。

ここで親が、叱ったり、愚痴を言ったり、責めたりしていたら、
後年の輝かしいパスツールは存在しなかったかもしれません。


仏教では、「自業自得」と言われ、
幸福(善い運命)も、不幸(悪い運命)も、すべては、私のやった行いが私の運命を生み出す、
それには万に一つも例外はないのだと教えられます。

勉強ならば、子供が頑張らなければ、子供の成績が上がらないのは当然です。

では、親が子供にどう拘われるのか。

少しでも「よい縁」になることでしょう。

子供の将来に、親が及ぼす影響(縁)は、計り知れません。

世間では、子供は親を選べないと言われますが、
仏教では、子供は親を選んで生まれてきた、、と言われます。
(このことは「勉強会」で詳しく話しています)

自分を親と選んで生まれてきてくれたのだと思うと、
お粗末な私も、子供にとって、少しでも「よい縁」になってやりたい、、と強く思わずにはおれません。

パスツールの両親ほどの温かい言動がとれなくても、、
少しでも見習って、自分に出来ることを模索し実行してゆきます!(^_^)
 

【「唯我独尊」】

【「唯我独尊」】

大変ご無沙汰してしまい、すみません(>_<。)

色々なことが、人生に起きるもので。。

悲喜交々、、すべてを向上のご縁として、
生きる目的に向って感謝し前向きに進みたいと思います(^_^)

仲の良い友人が、年始に決意したメルマガ投稿目標数に大きく下回っているから
と挽回すべく一生懸命文章を作って頑張っています。

諦めず頑張る姿がまぶしい(>_<)

来年まで、あと2週間を切ってしまいましたが、、私も見習って、精一杯頑張ります!


「トロイの遺跡発掘」の夢を果たしたシュリーマンについての最終回(これで3回目)。


努力が報われない22歳のシュリーマンに、ついに転機が訪れました。

必死で学んだ語学力を買ってくれる会社が見つかったのです。

転職したシュレーダー商会では、彼の熱心な仕事ぶりを評価し、給料もアップしてくれました。

しかし、シュリーマンは現状に甘んじることはありませんでした。

ロシアとの取引が多いのに、なぜか社内にロシア語の話せる者がいないことに気づいたのです。

「ロシア語をマスターすれば、この会社に、なくてはならぬ存在になれる」と確信し、勉強を始めました。

しかし、当時のアムステルダムには、ロシア語を話せる人がほとんどいませんでした。

学びたくても、先生がいない。

書店にも、ロシア語の教科書はない。

誰もがあきらめて学ぼうとしなかったロシア語。

とこが、シュリーマンは、粘り強く古本屋を回り、
ようやく、文法書と辞書、ロシア語訳の小説を手に入れ、独習を開始。

小説を丸暗記し、毎晩、大声で朗読するため、
アパートの住人から苦情が出て、二度も住まいを変えました。

そして、、6週間後には、ロシアの商人と流暢(りゅうちょう)に語り合うまでに成長。

これにはシュレーダー商会の幹部は、びっくり。

彼は、すぐにアムステルダムにやってきたロシア商人の応対を任されるようになりました。

2年後には、わずか24歳のシュリーマンが、
会社の代理人としてロシアへ派遣され、まもなく、一商人としての独立も認めらたのです。

その後のシュリーマンは、語学を生かし、様々な取引で、成功を収めて行きました。

財産も、倍、倍、倍と増えていき、一年後には、ロシアの大商人として、
その名を知られるようになりました。

商人として、幾晩も眠れない試練もありましたが、
しかし、語学習得に発揮したのと同じ勤勉さで、苦難を乗り越え、
40歳を過ぎるころには、世界的な大富豪になっていました(>_<)

ここで、彼が商売を続けていれば、ただの大金持ちで終わり、
歴史に名を残すこともなかったでしょう。。


彼の人生が、最も人々を感動させるのは、これからです。

「いよいよ、子どものときからいだき続けてきた理想を
 大々的に追求する時機がきた」

と宣言し、潔く、商売を止め、世界旅行と、
フランスで考古学を学んだ後、いよいよ念願のトロイの発掘の準備に取りかかりました。

トロイは、エーゲ海沿岸の、どこかにある。

シュリーマンは、ギリシャの古典を研究し、
ヒッサリクの丘に狙いを定め、私財を投じて、発掘を開始。

この時、49歳。

幼い日に夢を抱いてから、42年後のことです。

東西約200メートル、南北約150メートルの丘を、
一日に100人以上の労働者を雇って掘っていきました。

その人件費だけでも、莫大な金額です(>_<)

灼熱の太陽と闘いながら、シュリーマンの心は燃えていました。

2年かけた発掘作業で、
3000年以上も前の、巨大な城壁、城門などが次々に姿を現してきました。

ついに、一人の男の、夢の力が、
エーゲ海に未知の文明が存在したことを証明したのです。

シュリーマンの波乱の人生と発掘への情熱は、
「夢を掘り当てた人」として、
 多くの物語や戯曲、オペラなどの題材となりました。

彼の死から100年以上たった現在でも、根強い人気を誇っています。

彼は、一生を振り返り、こう言ったと言われます。

「たしかに私の心は金に執着してきただろう。

 しかしそれは、
 私の生涯を賭けた大目的を成就するための
 手段と考えていたからにすぎない」

最も大切なのは、
まず、「生きてよかった」と大満足できる本当の人生の目的を見つけること。

『唯我独尊』(ブッダ)

「ただ(唯)、我々人間(我)にしか果たすことのできない
たった一つの素晴らしい人生の目的(独尊)がある」
とブッダは宣言されています(^_^)

最も大切なことを、これからも共に学んでゆきましょう(^_^)


 

【目的の大きさに比例して、努力精進しなければならないのは因果の鉄則】

【目的の大きさに比例して、努力精進しなければならないのは因果の鉄則】

大変ご無沙汰してしまいました(^_^;)

色々なことが、人生に起きるもので。。

悲喜交々ありますが、、すべてを勝縁に、
生きる目的に向って前向きに進みたいと思います(^_^)


前回に続き、「トロイの遺跡発掘」の夢を果たした
シュリーマンについて紹介します。

彼は、目的を果たす手段として、20歳の時、商人になる決意をしました。

その日暮らしのどん底にいた青年が入社したアムステルダムの商社は、
給料は低かったものの、勉強する時間ができたことを喜びました。

外国語を身につけたほうが仕事に有利だと考え、収入の半分を学費に充てました。

ひどい貧乏暮らしで、暖房もない屋根裏部屋、
食事も切り詰めて、一心不乱に英語の勉強に打ち込んだのです。


彼は自伝に、こう書いています。

「みじめな境遇と、
 努力すればそこから抜け出せるという
 たしかな見通しほど
 勉学に拍車をかけるものはない」

「必要に迫られて、
 私はどんな言語でもその習得を著しく容易にする
 方法を編み出したのである。

 その方法は簡単なもので、
 まず次のようなことをするのだ。
 大きな声でたくさん音読すること、
 ちょっとした翻訳をすること、
 毎日一回は授業を受けること、
 興味のある対象について常に作文を書くこと、
 そしてそれを先生の指導で訂正すること、
 前の日に直した文章を暗記して、
 次回の授業で暗誦すること、である」

どんな時間でも活用しました。

郵便局での待ち時間はもちろん、歩きながらも、英語の本を読み、
階段につまずいたり、川に落ちそうになったこともしばしば。
人にぶつかって、どなられたり、殴られたりすることもありました。

しかし、彼は屈しませんでした。

雨の日も、同じように本を持って歩き続ける。
夜は、起きている時間はすべて、暗記した文章の反復練習に使いました。

まさに、時間を盗むようにして、必死に学んだのです。

その努力の結果はめざましく、
半年間で、英語の基本知識をすっかり身につけました。

次に彼は、フランス語に挑戦。
これも同じ方法で、半年間でマスターしてしまいます。

記憶力は、次第に研ぎ澄まされ、
オランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語
の習得には6週間以上かからなかったといいます。

シュリーマンは、3年間で6ヵ国語を身につけたことを
会社の上司に告げ、自分を外国との取引に使ってほしいと申し出ました。

ところが、「ばかもの!! おまえなんかが6ヵ国語もマスターできるはずがない。
ほらばかり吹きやがって」と言って、まったく相手にしてくれなかったのです。

しかし、彼はあきらめません。

目の前の人間が、認めてくれなくても、自分の努力が無になったわけではない。
この会社と縁がないだけだ。

大きな夢に向かって、彼は、転職先を探し始め、
その後、、幼い頃の夢を、40数年の時を経て見事に果たすのでした。

シュリーマンしかり。。

目的の大きさに比例して、努力精進しなければならないのは因果の鉄則。

「蒔けば生え 蒔かねば生えぬ 善し悪しの 人は知らねど 種は正直」

仏縁に恵まれ、人間に生まれてきた正しい目的を知り、そこへ向って、
どんな苦難も乗り越え、明るくたくましく努力精進できる人は本当に幸せ者です(*^_^*)

ガンバ!!
 

【生きる目的を知ると、苦難を乗り越える力がわいてくる】

生きる目的を知ると、苦難を乗り越える力がわいてくる】

落ち葉舞う秋(^_^)

小3の息子が、「将来、漫画家になる」
と見せてきた数枚のマンガ絵。

意味不明のところも多くありましたが、、
案外まとまっている物語にびっくり(^_^;)

そういえば自分も同じように思っていた頃
があったなぁ、、と思い出されました(^_^;)

秋空のように変わりやすいのが人の心ですが、、
人生かけて悔いなし、の生涯を送ってほしいものです。


「少年時代の夢を、生涯かけて達成した人」といえば、
ドイツの貧しい家に生まれた、シュリーマン。

彼の夢は、地中に埋まっている
古代ギリシャの遺跡・トロイの発掘でした。

しかし、それは誰が考えても不可能なこと。
トロイは3000年も前の都市であり、
どこにあるのかもハッキリしていなかったからです。

たとえ場所が分かっても、
広大な城の発掘には莫大な経費がかかります。

それどころか、トロイは伝説上の城であり、
実在しなかったと見るのが、当時の常識でした。

シュリーマンは、どのようにして不可能を
可能にしていったのか。

数回に分けて紹介してゆきたいと思います。


まず、夢を持つこと。

彼が、トロイの発掘を決意したのは、わずか7歳の時。

歴史好きな父親から、
トロイとギリシャが10年間も戦った物語を聞かされ、
すっかり魅了されてしまいました。

両軍の英雄が激突した戦場、敗れて燃え盛るトロイ城。

「きっと、土の中に埋もれているに違いない。
 必ず掘り出してみせる」

熱く燃えるシュリーマンに、
多くの苦難が襲いかかってきました。


まもなく母親が亡くなり、父親は仕事に失敗。
学校を中退せざるをえなくなったのです。

14歳で、小さな雑貨店に就職し、
朝5時から夜11時まで働く日々。

それでも「トロイ発掘」の夢は忘れませんでした。

まずは生きる為に働かなければ!

だが、過酷な重労働が続いたせいか、
5年後に、血を吐いて倒れてしまいました。

体が動かなくなれば、情け容赦なく解雇される。

世の中を、一人で生きていくのは、実に厳しいこと。

5年間、あれほど働いたのに、
蓄えはほとんどありませんでした。

日々の糧を得るために、
彼は、どんな仕事でもしましたが、喀血(かっけつ)
がひどく、長続きしなかったといいます。

ようやく、船員の仕事に就くも。。
彼を乗せた船が嵐に遭い、オランダ沖で難破。

かろうじて一命を取り留めたものの、
もう完全に無一文になってしまいました。

まさに、19歳までの人生は、不幸のどん底。

そんな彼に、生きる力を与え続けたのは、
「いつかは、あの輝く伝説の都トロイを発掘したい」
という夢であり、目標でした。

この夢がなかったら、
とっくに自殺していたかもしれません。

幸いにも、この窮状を救ってくれる人が現れました。

亡くなった母の友人が、就職口を世話してくれたのです。

仕事は、アムステルダム(オランダの首都)の商社で、
銀行や郵便局への使い走りなどをする雑用係。

深く感謝した彼は、
このチャンスを最大限に生かし飛躍すのでした(^_^)

続きは次回!

生きる目的がハッキリすれば、
勉強も仕事も健康管理もこのためだ、
とすべての行為が意味を持ち、
心から充実した人生になります。

病気がつらくても、
人間関係に落ち込んでも、
競争に敗れても、
「大目的を果たすため、乗り越えなければ!」
と“生きる力”が湧いてくるのです。

「人身受け難し今已に受く」(釈迦)

これは、「生まれ難い人間に生まれることが出来て
よかったという喜び」であり、
「よくぞ人間に生まれたものぞ、の生命の大歓喜」
を言われたお言葉です。

どんなに苦しくとも生きねばならない理由、
本当の人生の目的が仏教に説き明かされ、
どんな人も達成できることを、
これからも全力で伝えてゆきます(^_^)
 

【「子供笑うな来た道じゃ。年寄り笑うな行く道じゃ」】

米沢藩主の上杉鷹山を通しての話は一応、
今回を最後にしたいと思います。

これで8回目(^_^)

毎月通っている好きな町、山形県米沢市の偉人
ということもあり、ついつい長くなってしまいました(^_^;)

一人の人物について、こんなに多く紹介をしたのは
これが初めて。

他にもまだエピソードがあるので、機会があればまた紹介します。

恩人を大切にした鷹山は、
領内の村々に、次のような通達を出しています。

「年老いた者には、気を遣い、
 力を尽くして大切に接するべきである。
 70歳以上の者には、村の者が、皆で協力して、
 よくいたわるようにせよ。
 90歳以上の者には、また格別の心遣いをせよ」

言うだけではなく、自ら実践しました。

鷹山が、赤湯温泉へ向かった時、
(赤湯温泉:山形県南陽市にあります)
近くの村に95歳の老人が住んでいると聞いたので、
早速訪ねて労をねぎらい、祝い酒と扇子を贈ったこと
があったと言われます。

農民にとっては、驚きだったでしょう(>_<)

殿様が、敬老の精神で慰問に来るなど、
まさに「格別の心遣い」。

このような配慮を見たり、聞いたりするうちに、
親の恩を思い、年寄りを気遣うことの大切さが、
少しずつ浸透していきました。

「老人」といっても、最初から年寄りだったわけではありません。

「子供笑うな来た道じゃ。年寄り笑うな行く道じゃ」

といわれるように、自分の未来の姿でもあるのです。

親に育ててもらった恩を忘れ、会話もなく、冷たく接していたならば、

自分が年老いた時に、同じ報いを受けても文句は言えません。

仏教では、これを「因果応報」と言われます。

やった行為(因)に応じた、運命(果)の報いを受ける。

経済的に厳しい時に、心まで貧しくなったのでは、
やること、なすこと、暗いほうへばかり傾いてしまいます。

鷹山は、目前の損得にとらわれず、
まず、人間としてのまっすぐな生き方を示しました。

そこには後ろめたさがないから、心が明るく、豊かになり、
自信を持って進むことができたのです。

深刻な財政危機を乗り越えた原動力は、ここにあったのですね(^_^)

「成せば成る 成さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬなりけり」

鷹山の名言です。

まさに、この言葉どおり、改革に着手してから
33年めにして、借金のほとんどを返済し、
更に、荒廃していた米沢は、美しい農業国家に生まれ変わりました。

私心なき、まっすぐな姿勢が、家臣や領民の信用を得、
不可能と思われた改革を成功させたのでしょう。

上杉鷹山は、次のような戒めを後継者に与えています。

「国家は子孫に伝えるものであって、
 私にしてはならない。

 人民は国家に属する人民であって、
 私にしてはならない」

知識ゼロの方にも仏教を知って頂けるよう、
私も、分かり易い講座、勉強会に努め、
まっすぐに頑張ります!
 

【「親捨てた 報いで子にも 捨てられる」】

「少子高齢化」から、今は「少子多死化」が進んでいるとニュースになっていました(^_^;)

すべての人の行く先が「老」「病」「死」。

今回は、米沢(山形県)の藩主だった、上杉鷹山のお年寄りに対する政策について。

家は貧乏なのに働くこともできず、
食糧を食いつぶすだけの厄介者が老人なのか。
生きていて、何の意味があるのか。

こういう発想から、江戸時代には「姥捨山」の風習が生まれた地域さえありました。
(姥捨山:国の掟や貧困のため、年老いた親を子が捨てた山のこと。日本各地に伝説が残っています。)

しかし、上杉鷹山は反対でした。

どんなに経済的に厳しくとも、老人を大切にする政策を打ち出してたのです。

安永6年(1777年)、鷹山は、藩士の家族の中で、
90歳以上の老人を城を招いて懇親会を設けました。

老人は、今こそ腰が曲がり、歩くこともままならず、
家族に迷惑をかけているかもしれない。

だが、この親がなければ、子供が育たなかったのです。

孫も生まれていません。

いかなる貧苦にも耐えて、働いてきてくれたからこそ、
現在の家庭もあり、国家も築かれてきたのです。

その恩を思うと、ねぎらわずにおれない。

鷹山は、優しく言葉をかけ、服や金子(きんす)を贈りました。

また広間で行われた会食の席には、子や孫を2、3人ずつ付き添わせました。

付き添いの家族に、鷹山は、

「今日は無礼講だ。
 おまえたちの両親や祖父母をいたわり、
 心を込めて食事の世話をして、
 楽しく過ごしなさい」

と言ったので、仲むつまじい笑い声が絶えませんでした。

この宴(えん)に参加した人や、後で伝え聞いた人々は、
皆、今までの行いを反省し、

「もっと年寄りを大事にし、親の恩に報いるように心掛けていこう」

と強く知らされたといいます。

鷹山は、町民、農民に対しても、同じように接しました。

90歳以上の老人を代官所へ招いて「養老米」を贈り会食もしています。

以後、毎年元日に、90歳以上の老人には、
服や米が、祝いとして贈られることになったのです。

「親捨てた 報いで子にも 捨てられる」

親を邪魔者にしてきたから、子供から自分も邪魔者にされるのです。

仏教では、
ご恩をありがたく感謝する者は成功し、
恩を当然と受け流す者は信用を失い、
恩を仇で返す者は身を滅ぼす、と教えられています。

心してゆきたいと思います(^_^)
 
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